脳機械インターフェイス


技術的特異点の提唱者でありGoogleの人工知能部門のディレクタ(2015年時点)でもあるRay Kurzweilによると、ヒトの大脳皮質には300万個程度の機能コラムが存在すると言われています。機能コラムは脳が持つアルゴリズムの最小の機能単位と考えられており、例えば特定の線分の傾きを検出するコラム、人の顔を検出するコラム、音の特定の周波数を検出するコラム、特定の単語を検出するコラムなどが存在すると考えられています。機能コラムの活動を全てモニタリングする事が出来れば、全てのニューロン活動を記録しなくても脳の情報処理の機能的な側面は十分に抽出出来るという考え方もあります。1つの機能コラムはおよそ100万前後のニューロンから形成されていると言われています。

埋め込み型BMI
脳の中の情報を読み出すとは、ニューロンの電気信号である神経パルス(活動電位と言います)を記録する事に他なりません。ニューロンの細胞膜にかかる電圧(膜電位)は活動状態と静止状態では100mVくらいの差があるのですが、この差を検出します。ニューロンの中心部分(細胞体)の大きさは10マイクロメートル(100分の1mm)の大きさなので非常に小さい電極を使わなくてはなりませんが、基本的に電気回路の電圧を測るのと同じ仕組みでニューロンの信号を読み取る事が出来ます。もっと難しい課題は読み取った信号をどうやって脳の外に取り出すかという問題です。これには読み取った電気信号を増幅してデジタル変換し無線で飛ばすシステムが必要です。こうした極小の無線回路を300万個程度大脳皮質の中に散りばめて、それらの回路からの無線信号を読み出す必要があります。現在世界最小のRFIDシステム(クレジットカードや電子マネーカードの中に入っているICタグ)は2007年に日立製作所が作製したミューチップというICでその大きさは50マイクロメートルです。赤血球の大きさが8マイクロメートルなのでそれ以下の大きさでRFIDチップを作製出来れば血管から注射して脳の中にチップを導入する事が可能です(実際には血液脳関門を通過し血管の外に出てニューロンに到達しなければならないため、超音波や血液脳関門を広げる薬剤等を使ってチップを脳組織の中に導入する必要があります)。ムーアの法則に従ってチップサイズは2年で半分になるため、2017年頃には理論上作製可能な最小のRFIDチップの大きさは1.5マイクロメートル程度になります。これは静脈注射で脳組織内に導入するのに十分小さいサイズです。また脳への入力、ニューロンの刺激に関しては微小電極から細胞の内部に電流を注入する事で可能になります。その他に、微小な無線回路が発信する信号は頭蓋骨や皮膚を透過するのに十分なパワーがない可能性があるので、無数のマイクロチップと脳内で通信を行うためにマイクロカテーテルのようなワイヤー型のデバイスを脳血管内部に埋め込む必要性が生じる可能性があります。

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マイクロ無線回路を用いたブレイン・マシン・インターフェイスは現状の技術で実現可能な事が明白であり、実際には回路設計と試作に2,3年、動物実験や人での臨床試験に一般的には4,5年かかるのでトータルで10年くらいはかかるのではないかと試算しています。

非侵襲型BMI
非侵襲型BMIには電気的、磁気的、光学的性質を持つ信号を使って脳活動を捉えようとするものがあり、代表的には脳波計(EEG)、脳磁図(MEG)、機能的核磁気共鳴イメージング(fMRI)、光トポグラフィなどがあります。装置の値段も数千円から数億円するものまでさまざまに存在し、一般的には 高価な装置程、脳活動を捉える空間的、時間的な解像度は上がる傾向にあります。

空間の解像度に関しては上述のように1つの機能コラム(0.1m程度)の範囲で個々の脳領域の活動が記録出来れば、思考や記憶を形成する最小単位の神経回路を読み出す事が出来ます。時間の解像度に関 しては100分の1秒程度のシャッター速度が求められます。テレビ画面は1秒間に30回から60回画面が切り替わります。人間の目はそれ以上に速いスピードで物体の移動を捉えられないため、私達はテレビ画面の残像をなめらかな動きとして認識します。言い換えると1秒間に30回から60回以上の速さ(30〜60Hz)で切り替わる現象を人間の脳は認識出来ません。脳の中のニューロンはもう少し速く200 Hz程度のスピードで動作します。従って1秒間に30回から60回のスピードで脳の活動を測定出来れば 、人間の認知や思考の過程を正確に捉える事が出来ると言えます。

脳波計(Electro Encephalogram EEG):非侵襲型BMIの中で最も低コストであり電化製品のように量産され最も普及しているデバイスです。脳で発生する微弱な電磁波を捉えるため時間的な解像度が高 いです。一方で微弱な電磁波の信号が骨、皮膚、毛髪を通る時に歪められるため、信号源の特定が困難であり、脳のどの部分が活動しているのかと言った情報が取得出来ません。つまり空間的な解像度が著しく悪いです。このため脳波計で記録した脳活動から、見ているものや考えている言葉、動かし たい筋肉などの情報を取り出す事はまだ出来ていません(2015年時点)。微弱な電磁波が骨や頭皮で歪められる過程 が詳細に理解出来れば、こうした効果をキャンセルして将来的には高い空間の解像度を得る事が出来 るかも知れません。

脳磁図(Magneto Encephalogram MEG):脳活動に伴って発生する電磁波の磁場の成分のみを検出する 装置です。骨や皮膚などの生体組織は磁場に対して何の影響も受けないため脳波計と違い信号が歪め られる事がありません。従って時間的にも空間的にも比較的高い解像度が得られます。しかし脳が発生させる磁場の変化は電磁波の信号と比べると極めて小さいため、信号を増幅するための装置が大きくなり製造には数億円規模のコストがかかります。脳波計では微弱な電磁波の信号を1000倍位に増幅しますが、脳磁図では10万倍くらいの増幅が必要になります。

機能的核磁気共鳴イメージング(functional nuclear magnetic resonance imaging, fMIR):病院で身体の内部を撮像するMRI装置と同じものです。MRI画像を静止画ではなくビデオのように時間経過を付けて動画 にしたものを機能的MRI(fMRI)と呼びます。MRIでは身体を丸ごと巨大な電磁石(磁場を発生させるコ イル)の中に置き、磁場のパルス(短い磁場の信号)を与えてその時に生じる核磁気共鳴現象の変化から生体組織の状態を画像化します。この時コイルが発生させる磁場の強度が高い程、空間の解像度が上がります。最近のfMRI装置は0.5mm以下の解像度を持っています。またこの巨大な磁場を発生させ るコイルと微弱な磁場の信号を増幅する装置が必要なためやはり製造には数億円規模のコストがかかります。残念な事に核磁気共鳴現象を使って神経活動を計測する事に成功したという報告はまだありません。fMRIでは血中の酸素濃度から神経活動との相関を記録します。脳の活動状態が高い部分では 酸素が多く消費され、低い部分ではその消費が抑えられるからです。神経の活動と脳組織の酸素消費には数秒程度のタイムラグが存在するため、fMRIを使った脳活動の記録では時間的に十分な解像度が得られません。

神経活動をfMRIで直接的に観察する試みとしてfMRIの造影剤を使った分子fMRIという技術があります。これはシナプスの間でやり取りされるシグナル分子である神経伝達物質に結合し、MRIシグナルを増幅するような分子を体内に導入する事で、脳全体の神経活動を個々のシナプスレベルで読み出すという非常に野心的な技術です。分子fMRIを使った大脳皮質のスキャニングは実験動物でも成功しておらずヒトではまだ試されていない段階です。もし実現すれば電子顕微鏡を使ったコネクトミクス的手法と同じくらいの解像度で全脳情報を読み出す事が出来き、生きたまま精細な脳活動をコンピュータと繋げる事が出来る非常に革新的な手法になる事が期待されています。

光トポグラフィ: fMRIと同じく血中の酸素濃度から脳の活動状態を推定するため、時間的な解像度が実際の神経活動よりも数秒遅れます。生体組織を透過する近赤外線を使って脳を観察しますが、脳波計と同じく一部は骨や皮膚、脳組織内で光が散乱するため空間的な解像度が低くなります。近赤外線の信号はそれ程増幅する必要はないので、レーザーやカメラなどの比較的安価な部品で装置を製造す る事が出来ます。

  空間の解像度 時間の解像度 コスト
脳波計 ×
脳磁図 ×
機能的核磁気共鳴イメージング × ×
光トポグラフィ × ×
埋め込み型BMI

非侵襲型BMIが技術的に一番苦心しているのは、電磁波や光と言った信号に対して皮膚、骨、脳のよ うな生体組織を如何に透明に見せるかという点です。信号の散乱や歪みを補正する事が出来なければ 、磁場のような微弱な信号を用いるか、あるいは血中酸素濃度のような間接的な現象を捉えるしかありません。こうした理由から非侵襲型BMIでは時間的な解像度を上げようとすると空間的な解像度が犠牲になり、微弱な信号を捉えようとするとその分だけ装置コストが上がるという問題がありました 。この点埋め込み型BMIでは既に頭蓋骨の中にデバイスがあるため良質な信号が取得出来き、時間・空間の解像度とコストというトレードオフの関係はありません。ニューロンの活動に同期したシャッター速度で、0.1m以下の解像度を持ち、かつ安く作れるという全ての必要条件を満たします。埋め込み型BMIの明らかな難点は生体内部へのデバイスの埋め込みに外科的な留置術が必要な事です。例えそれが静脈注射のような軽微なものであったとしても、人工物を長期間体内に留置させる事に対して抵抗がある人もいます。

非侵襲型BMIのこのような状況も信号処理や機械学習などのソフトウェアの革新で変わりつつありま す。上記の非侵襲型の各種BMIの測定原理の違いから、埋め込み型に匹敵するような性能向上を達成するには主に3つの戦略が考えられます。1つ目は脳波計における骨や皮膚による電磁波の信号の歪みの補正。2つ目は脳磁図におけるセンサコイルの高密度化と感度の向上。3つ目は光トポグラフィにおける骨や皮膚による光散乱の補正です。FacebookやOpenwaterなどの企業は3つ目のアプローチで非侵襲型BMIの開発を行っています。これはホログラムディスプレイを使って生体組織のような散乱体の中で光線を集光させる方法で、日本でもNHK放送技術研究所が高精細なホログラムディスプレイを過去に開発しています。現在JTLAではこの3つ目のアプローチでBMIの基礎研究を行っています。詳細は共同研究・開発のページをご覧下さい。